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■2001/04/10 (火) 親切な! 駅員さん

  渋谷駅から半蔵門線に乗ろうとしたとき、どこかへ切符を落としたことに気づいた。160円回数券の束の一枚目である。絶対、何とかしてもらえる筈と確信して駅員さんに相談してみた。
「すいません、切符 取り忘れちゃったみたいなんですけど…。」
プレッシャーをかけるべく、残りの回数券をちらつかせながら、若い駅員さんの顔を上目遣いに見る私。私より10歳くらい年下と思しき彼は、
「ちょっと、待ってくださいね。」
と言いながら、いきなり隣にあったダンボール箱の中身を机にぶちまける。

  ざざざぁ…

音を立ててなだれてきたのは、切符のヤマ山々… 自動改札機の外に落ちていたと思われる、未だ有効な切符の大群であった。

  彼はそれらにさっと目を走らせて、件の切符がないことを確認すると、山の中から160円区間の 通常切符!(私のは回数券)を取り出し、言った。
「これ使ってください。別に問題はないですから。」

  もんだいないかぁ???? コレの持ち主はもう来ないの? そう思いつつ、しっかりとその切符を使う私であった。私の切符は誰に使われたのだろう? まぁ、いいや! こういう風に地球は回っている。

■2001/04/09 (月) イタリア語講師(アンケート結果の考察と改善の方向

アンケート結果の考察と改善の方向(私家版)
            
■担当授業科目
◆ 大学 イタリア語1年、2年
◆ 短大 イタリア語1年、2年

アンケート集計レポート(一番出席率の良かった短大2年クラス22人の平均結果)(5点満点)
T この授業について
1) 授業の準備を教員は十分にしている。          4.8
2) 教員は、授業について十分な知識を持っている。     5.0(すげぇ!)
3) 教員の熱意が伝わってくる。              4.8
4) 学生の質問や相談への教員の対応は適切である。     4.6
5) 教員は、専門的な理論や概念を判りやすく説明している。 4.7
============
6) 授業の開始・終了時間は守られている。         4.7
7) 授業時間は有効に活用されている。           4.7
8) 授業の回数は適正に行われている。           4.9
9) 急行に対する歩行は適正に行われている。        4.8
10) 自分の期待通り満足できる授業である。         4.5
========
11) この授業に触発されて、自分の考えが広がったように思える。4.2
12) 教員の言葉は、はっきりしていて聞き取りやすい。    4.9
13) 授業計画(シラバス)の目的は明確で、計画に沿って授業は行われている。3.2(わはは!)
14) 使用した教科書・参考書等は授業内容の理解に役立っている。4.4
15) 授業内容の理解のために、VTR・オーディオ等は活用されている。2.8(うおぉ!)
=============
16) 教員の黒板の使い方はわかりやすく、内容の理解に効果的である。3.2(うーむ…)
17) 〈複数教員による授業の場合〉授業は、円滑に進められている。 3.6


U この授業に対するあなた自身のことについて
19) 積極的に興味や関心を持って授業に参加している。      4.1
20) 授業外での学習(図書館等の利用)をして授業に臨んでいる。 3.6
21) 授業に遅刻しないよう心がけている。            4.2
22) 私はよく勉強している学生だと思う。            3.3(正直やな…)
23) 授業を妨げるような私語は慎むように心がけている。     4.0
24) 授業の予習等のために授業計画(シラバス)を活用している。 2.1(ぐぉぉう!)
(注:この後、自由記述欄あり)

総括
先ずはアンケート結果が馬鹿によろしいことに驚いたのだが、これはアンケート対象件数(出席者数)の少なさを見れば納得できる。出席率が低い。ひどいクラスでは半数近くが欠席。要するに、私をある程度以上評価している学生以外は調査に参加していないということだ。これでアンケート結果が悪かったらそのほうがおかしい。そのことを踏まえて結果の考察に臨みたい。


結果の考察

 Q1からQ5は教員の授業への取り組みについての質問である。「こんなに良くていいのか?」、「私は知らないうちに学生たちにプレッシャーをかけていたのではないか?」と、思わず自問してしまったほど良い結果が出ている。が、前述のとおりアンケート参加者は私を評価している学生のみである。出席率の低さからいくと、自分の授業の仕方がよほど悪いのだと反省せずにはおれない。
 Q6からQ9までは私の勤務態度についての評価であり、これは対象者の範囲を広げても同様の結果が出たはずだと自負している。
 Q10の結果の良さについても前述のとおり。
 Q11は語学の授業に求めることそのものが無理な質問だと思うのだが、意外に結果が良かった。イタリア語に関する与太話が興味深かったのだろうか? 一体どんな風に「自分の考えが広がった」のか、詳しく聞いてみたいものだ。
 Q12:「大声過ぎて耳が悪くなる」と書かれなくて良かった。
 Q13:クラス毎、理解度に合わせて進度を調節しているので、折角のシラバスも役に立たない。これは確信犯的に行っていることなので、学生諸君にはお許し願いたい。
 Q14・15:ビデオも何も関係ない教科書を使っているので、お許し願いたい。
 Q16:アンケートの自由記述欄にもあったが、五線譜の黒板はものが書きにくい上に、見にくく、時間の制約もあって、あれ以上の板書は無意味と判断した。「どちらともいえない」という評価に満足しておきたい。
 Q17:私は単独で週2回の講義をしており、この質問には意味がない。
 大きなUは、学生自身の問題のように見えるが、実は私の授業が彼らにとって興味深いものであるか否かのバロメーターである。従って、私の授業の面白さは「中の上」という評価と見た。これは対象者が限られているという前述の事実に即して見ると、大変遺憾なものである。が、私の担当が語学の授業であるということを考えれば、そんなに「面白」かったらそのほうがおかしいと思う。多くの音楽家にとって語学は、ただの「コミュニケーションツール」である。その習得は強いて勉めるものであって良いのではないか? 語学そのものに興味が湧いてしまったら、通訳・翻訳者や言語学者を目指したほうが良い。



改善の方向

 「言葉がきつい」と勇気をもって書いてくださった学生と、授業中にもかかわらずその場で直接、言葉のまずさを指摘してくれる学生諸君には、本当に感謝している。私の話し方のきつさは「殆ど唯一にして最大の欠点」と、夫に10年も前から指摘されているものであり、本人も気をつけている積りなのだが、なかなか直らない。自覚症状がまったくないのが最大の敗因と思われるので、お気づきの際にはバシバシ指摘して頂きたいものだ。
授業方法についてはあまり変える予定がないのだが、出席率がもう少し良くなるよう出席点を重視することも考えたい。イタリア語のテキストは独習用のものではないから、授業に出ない学生は自分の学習機会を削っていることになる。出席率の良い学生の方が、やはり良い結果を出しているという事実を学生の方でも重視してほしい。大学生にもなってこんなことを書かれるのは情けないと思って頂きたい。

 以上、書き終わって自分の書いたものを読み返してみると、やはり言葉がきつい。これからは「です・ます調」で話してみようかと思っている次第である。

(おわりだっ!)

■2001/04/08 (日) ピカチュウ(ピカひゃんとの馴れ初め

さるさるさんへ、

  私の外見にもっとも大きな特徴を与えている、”ピカチュウ”の話を忘れていました。この「黄色いヒト」抜きに私の自己紹介は完結しません。(これは”ねこ”の時にも使ったフレーズだな…)

  私は一切ゲームをしないタイプなのですが(あまりにも負けず嫌いで、負ける可能性がある勝負には手を出さない私。だから、宝くじも買わない!)、ピカチュウが好きです。はっきり言って愛しています。一目ぼれです。

  私とピカチュウとの最初の出会いは、横浜の『足立玩具店』(私はそこをひそかに『ピカ屋』と呼んでいた)でした。5年前のその日、そこのショーケースは、レンガのように積み上げられた黄色と黒の物体で、上から下まで埋め尽くされていたのです。
「なんなんだ、これはーッ!!!!?」
私は叫び、一緒にいた”猫”を振り切って、走り出しておりました。幼少期、踏み切りの隣で育った私は、「黄色&黒&赤」という組み合わせが異様に好きで、工事現場なんかをうっとりと眺めてしまう変態なのです。(よだれも出ちゃう… あうあう…)
  ガラス全面に張り付いていた黄色い軍団は、お腹を押すと
「ひほっ」
と、鳴くかわいいピカチュウぬいぐるみ:”ひほ”(家での名前。家では全ピカにそれぞれの名前がついている。はっきりいって登録商標は無視)でした。そのとき、初めて「ピカチュウ」なるものを知った私は、そのまま… ずるずる… と、ピカの魅力にはまっていったのです。



  どのくらいはまっているかというと、”ねこ”が作っているホームページの方には「ピカチュウの部屋」を作ってもらっているくらい。旅行先でパチモンピカチュウを見つけると思わず買ってしまうくらい。ピカチュウ好きが知れ渡って、周りの人がピカ収集に協力してくれるくらい。家中どの方向を見ても、黄色い物体の群れが目にとまるくらい。”明治カール”の”ピカチュウおしゃべり貯金箱”がどうしても欲しくて、90日間ぶっとおしでカールを食べ続けても幸せだと思えたくらい(太らなかったどころか、胃を壊してやせた…)。仕事を始めたばかりの頃は、給料の殆どをピカにぶっこんでいたくらい。押入れの半分がピカチュウファイル(二次元ものはファイルして保存)で埋まるくらい。学生が初めて家に遊びにくると、笑ったあと無言になるくらい(あきれてるの?)。道にピカチュウのついたもの(菓子の包み紙だろうが、ブリックパックだろうが)が捨ててあると、拾ってきてコレクションに加えるくらい(変態度高し!)。そして、ますます家は狭くなる…。


  数いるピカチュウの中でも、私が一番愛しているのは”ピカちゃん”(ピカチュウ1/1ぬいぐるみ First Ver.)です。彼女は予約受付用の見本品として、製品売り出し(10月1日発売)前の9月、上述の「足立玩具店」に来たのでした。はじめてピカちゃんを見た日、音大からの帰り、疲れきった私の目に彼女の黄色は ただただ眩しく、一瞬にして私は彼女のとりことなったのです。
  「なんと美しいぬいぐるみだろう!」
私はピカちゃんに見とれました。心の中で”ピカちゃん”と呼びかけました。美しい毛並み。立派な、水牛のような耳。おにぎりのような安定感のある体型。くるりんとした愛らしい口元。そこはかとなく”フルヘッヘンド”な(うずたかくなっている)”はす”(遠州弁で動物の口鼻の盛り上がった部分を指す)。どこを取っても素晴らしい! しかし、非情にも彼女の胸にかかるメッセージ。そこには、
「見本」
とだけありました。ピカと自分との間のガラスの冷たさに涙し、その厚みを永遠のように感じていた私でありました。
  
  その後、毎週4回、月曜と木曜の朝と晩、足立玩具店の前に立つ私の姿がありました。朝は出勤前の人ごみの中、わざわざ遠回りをして明かりの消えたショーケースの中のピカちゃんに挨拶しました。帰りには、店主が嫌がって外へ見張りに出るほど長い間、私はピカちゃんに見とれていました。
「家に連れて帰れなくてもいい。いつでもここで会えるなら。」
私のプラトニックラブは、一つの結論を出していました。



  10月1日、音大からの帰り道にみた玩具店は、異様な雰囲気に満ちていました。店からは、大きな黄色いぬいぐるみを抱えたお父さん達が途切れることなく出てきます。ピカチュウ1/1ぬいぐるみ を買った人たちです。店の前には、ピカたちを入れていたと思しきダンボール箱のなれの果てが、渦高く積み上がっていました。殆ど見えなくなりそうなショーケースの上部には、ピカちゃんが相変わらず「見本」のプラカードを持って、嬉しそうにそこにいました。

  またその後、毎週4回、月曜と木曜の朝と晩、足立玩具店の前に立つ私の姿がありました。ショーケースの中のピカちゃんは、だんだん色が飛んできたような気がしましたが、それさえ私には魅力と感じられました。ピカチュウ1/1ぬいぐるみ の人気は、当年全ぬいぐるみ売上数の2位に食い込むものでしたが、さすがに10月後半ともなると、黄色い包みを持った人たちとすれ違うことも減りました。そして、ピカちゃんの持っているプラカードは、
「よろしくね」
「絶賛発売中」
などなど、頻繁に書き換えられるようになりました。それでも「見本」の2文字だけは、無情にも外れることはなかったのです。私の片思いは2ヶ月に及びました。

  そして、11月、奇跡は起こったのです。友人の出産祝いにピカチュウぬいぐるみを買おうと、足立玩具店を訪れた私の目に飛び込んできたもの! それは、ピカちゃんの胸に掲げられた
「6800円」
の数字でした。「見本」とはどこにも書いてありません! 喜びのあまり私は”ねこ”の会社に電話をかけました。
「いまから、ピカちゃん買って帰るから!」
それは、宣言でした。ピカちゃんはいつもと同じように嬉しそうでした。夕日に毛並みも輝いています。私は、彼女を横目で見ながら、薄ら笑いを浮かべて大股で店に入り、売り子のおばさんに詰め寄りました。
「あの表にいるピカチュウを下さい!」



  さて、いきなり解説ですが、当時販売されていた「ピカチュウぬいぐるみ」Firstシリーズの出来は最低でした。殆どのピカがゆがんでいたし、目線もあっていなかったのです。というわけで、店のおばさんも麗しい私のピカを手放したくなかったらしく、あからさまに嫌そうな顔をしました。おばはんは落ち着きなく目線をあちこちと飛ばしながら、
「あれは、日に焼けてますから」
とか
「もう、売り物になりませんから」
とか、言い訳しました。しかし私は、
「でも値段がついてますよね。ということは売り物ですよね!?」
と、押し続けます。数分は押し問答をしたでしょうか。最後は

「私はここ2ヶ月、朝・晩、ここを通る度に、あのコを見ていたんです。
 あのコが欲しいんです! 
 あのコじゃなきゃ駄目なんです!!」

                   と、私が叫びました。

 


これで、ケリがついたような気がします。私は、おばはんの顔をじっと見据えました。おばはんは、奥にいた店主の方にちらっと目をやりました。彼は、もういいよ…という感じで、投げやりにうなずきました。すると、おばはんも、
「はぁ…」
と、声に出してため息をつきながら、なんとなーく首を振りました。
「袋もないですからね…!」
彼女ははき捨てるように言いました。

  ああ、でも諦めてくれてありがとう! 舌打ちしながらショーケースに向かう売り子の オ・バ・サ・マ は、さっきより3倍増し美人でした。その先にはピカちゃんが、本当に麗しく、くるりんとしていました。ピカが尻尾でつかまれたとき、私の胸は高鳴りました。ピカが袋に入れられたとき、私は耳が熱くなるのを感じました。会計の間、もうどうしようもない興奮で、私の足は勝手にタップを踏んでいました。そうして私は遂にピカちゃんを抱くことが出来たのです! 世界一美しい、ピカチュウの中のピカチュウを!!!

 


  さて、「私の外見にもっとも大きな特徴を与えている、”ピカチュウ”」という冒頭の文章の説明を忘れていましたね。実は、私のイヤリングが”ねこ”の手作りの”ミミちゅう”(10種類ほどいる)なのです。いやー、これは、日本全国津々浦々、世界各国でウケる。(ありがとう、”ねこ”!)話のきっかけにもなるので、大抵、誰か初めての人と会うときはつけていきます。フォーマルな場所は別ですけど…。

  だから、さるさるさんが、ピカチュウのイヤリングをして、韓国製(日本では売ってない)のピカチュウリュックをしょって、ハンドバッグにポケットピカチュウ白黒版2個とカラー版2個とをつけて、ガシガシ歩いている、背の高い年齢不詳の女を見たら、それは私なのです。うぷぷ…! と、陰で笑ってやってください。けけけけけ!
                                                               まりぃ

■2001/04/08 (日) イタリア語講師モード

  某音大も、某大学も不親切なので、最初の講義の日に学校へ出かけていくまで
”開校日はいつか?”
という物凄く重要なことを教えてくれない。だから、ボケボケの私は、明日から出勤するのか、それとも今までどおり朝寝をしていいのか、この期に及んでまだわからない…。

  先ほど、今年度からは某音大でも働くことになったフランス語の先輩から、
「授業計画書に使用する教科書名を書いただけで、購買部への書類は渡されていないけど、ちゃんと事務が出版社に発注してくれるのだろうか」
との質問メールが来た。教科書の発注は事務に任せておいてよいのか? 答えは、
「任せられるわけねぇだろーッ!」
である。あの学校に関しては「ちゃんと!」なんて言葉、一切通用しない。
  給料に関してでさえ、4月分は、こちらがちゃんと調べないと大いに間違っている(2コマ分くらい少ない)ことがあるくらいで、全く気が抜けない。(私も一年目は間違われた!!!!)

  一応、出版社にも「事務から連絡が行くと思いますが、…」と前置きつきで伝えておいた方が良いだろう、と返事しておいた。
  
  因みにイタリア語は、全員同じ教科書を使うので、今年は! そういう心配がないが、最初の年、教室で教科書を売らされた(自分のクラスに関しては、私がお金の管理させられた)のは、一生忘れられない恨みだ。しかも発注した教科書は、金を集めた半年後に届いた…。まったく学生には申し訳ないことをした、と今でも悔やむ。

  某音大は16日、某大学は17日が最初の出講日と判明した。あと、一週間はリハビリタイムだ。
  
  毎年、最初の授業時間は学生に「自己紹介&この授業に望むこと&今年の目標」を発表してもらうことにしている。この「目標」を元に参考書等のアドバイスをしたり、講師の人となりを知ってもらうことになるわけだが、ワケアッテだかサボりだか、この大切な一回目を休んでしまう人もいる。困ったことだ。

  というわけで、開校日からは『イタリア語講座モード』も開始することにする。学生諸氏にはココのアドレスを教えて、色々な情報を得てもらうことにしよう。メールでの質問も時間の許す限り、私の知識の及ぶ限り、受け付ける。予習・復習(テスト前にコレをやってる人はかなりえらいと思う。私は因みにやったことがない…)の手助けとなれば幸いである。

■2001/04/07 (土) 猫の咽喉

さるさるさんへ、

  鬼怒川へ行っている間、数日間よくなっていた”ねこ”の咽喉の具合が、また悪くなってしまいました。夜、床に就くと絶えず咳払いをしたり、うなったりし、
「咽喉が腫れたようで、息が詰まる」
とか、
「おとなしく寝られるものなら寝たい!」
とか言いつづけるのであります。隣で”ねこ”がうなってちゃ、私も眠れないんだけどな…。

  猫の症状に気づいたのは、私が風呂から上がって、さぁ寝ようと横になってから。時刻は0時半。一体、いつからこうなっていたんだろう? 実家(親は医者)に電話をかけるのは憚られる時間ですが、呼吸が止まるというなら事態は深刻なので、救急病院に行こうと提案しました。しかし、病院行きはさしたる理由もなく(ただ、それは嫌だというだけで)却下。ええい! この頑固ねこめ!! でも咽喉は苦しいというし、風邪薬は効かないそうだし…。このまま眠れなかったら翌日の会社はどうなるんだよ? 頭ボケボケのデスクって役に立つのか知らん?

「何かのアレルギーかもしれない。」
という、”ねこ”の何の根拠もない(一応、毎年同じ時期に同じような症状を訴えるという事実はあるが)思いつきから、抗アレルギー剤のゼスランを飲ませてみました。
「アレルギーによる炎症なら、鼻炎であろうが、皮膚炎であろうが、咽頭炎であろうが、これで治まるはずだから。」
と、猫には説明。薬への絶対の信頼を導きます。そうすると実際、プラシーボ効果かもしれませんが、猫はだんだん落ち着いてきました。咽喉の不快感が取れてきたのです。しかし、そこに至って、鳥肌の立つような不安が私の心をよぎりました。


『やべぇ、オーバードーズかも…。』
彼は確か夕方、パブロンを飲んでいたはず。あれは夕食の後だった。ということは、まだ売薬を摂取してから4時間経っていない! 彼の息遣いが落ち着いてくるにつれ、このまま”ねこ”は永眠するんじゃないか、という私の不安は増していきました。

  私の座右の銘は「人間いたるところに青山あり」で、自分が死ぬ分には例え次の瞬間でもかまわないのですが、”ねこ”が先立つのだけは辛い。これで猫が動かなくなったり、冷たくなったりしてしまったら、私は何でもっと早く『カレーの市民』のような死を選んでおかなかったのかと後悔するでしょう。小学生の時から、ずっと英雄的な死を迎える機会を狙っていたのに、夫に先に逝かれてしまうなんて、私の人生設計が根底から覆ってしまいます。

  最後は彼の脈を取りながら眠った私です。今朝、”ねこ”に起こされたときは、嬉しかったなぁ…。にゃぁちゃんが標準体重をオーバーしてることも幸いしたのか知らん?

  猫には、さっさと医者に行って欲しい まりぃ でした。

■2001/04/06 (金) 夕食は Spaghetti al pomodoro

さるさるさんへ、

  いつものように9時帰宅の”ねこ”は、トマト味スパゲッティ(だけ!)を食べて満足してくれました。うん、人間ができてる。でも本心は、冷蔵庫に入ってるほかのお惣菜も食べて欲しい私です。(猫は夕食に何か一品食べるとそれだけでお腹が一杯になってしまう不思議な人です。まさか、私と付き合い始めてから体質が変わったとかじゃぁないだろうな!?)

  料理中に、一度の火傷をしました。ソースを作っているとき圧力鍋に手の甲を当ててしまったのです。すぐ冷やしましたが、赤くなっているし今も痛い。

  火傷といへば、おととしの内蒙古旅行を思い出します。帰りの北京のホテルで電気湯沸し器をひっくり返した私は、右大腿部にポット一杯分の熱湯を被ってしまったのでした。結果は、全治一ヶ月の重傷火傷と、現在も残るその痕跡。お風呂などで温まると、あかく、太陽のプロミネンスのような模様が私の右脚に浮かび上がります。(見ようによってはかっこいいので、本人はちょっと気に入っているんだけどね)
  中国の病院内部を見学できて、ちょっと得した気分の私。

  …と、ここまで書いたところで ねこにこのページを発見されてしまいました! くっそう、秘密にしておこうと思ったのに! ではでは

■2001/04/06 (金) ”ねこ”:自己紹介補足(夫との馴れ初め)

さるさるさんへ、

  うーむ、先ほど我が夫:”ねこ”についてアップしようと頑張っていたら、いきなり落とされてしまいました。きっと1000文字を超えたからですね。それとも、
「日記なんか書いてるひまがあったら仕事をせい!」
つーことかい?

  とにかく、”ねこ”の話なしに我が自己紹介は完結しないので、なれそめを書かせてもらいます。
  ”ねこ”とは、10年前、私が修士課程に上がりたての頃(ルーマニア語を極めようとしてロシア語に浮気していた頃)、!!!パソコン通信!!! (時代がわかりますねぇ。その頃はワープロで通信していた私さ…)で知り合いました。
「トルコ語を勉強している人いませんか?」
と、N社の外国語フォーラムに書き込んできた”ねこ”を哀れんだ父親から
「絶対、レスがつきそうもないから返事を書いてやりなさい。」
と、勧められたのがきっかけです。その後、彼が物凄い言語オタクで”変”な人であることに気づきファンとなった私ですが、別に個人的な付き合いはなく、フォーラムへの書き込み合いで一年が過ぎました。

  その日、私は演習の準備でモリエールと格闘しておりました。だから、電話帳はおろか、大学の名簿にさえ記載していない部屋の電話が鳴り、
「M(ねこの苗字)です。」
と、名乗られたときは、死ぬほどびっくりしたわけです。はぁ!???? なんで? どうして?
「えー?????! Mさん? Mさん?」
と、延々10分はアホのように繰り返していた私…。彼がどうやって私の番号を調べたかは今もって謎とされています。

  その前日、”ねこ”から −サンダーバードのパフォーマンスのチケットが1枚余ったので一緒に行かないか− という主旨の(詳細はさすがに忘れた)メールを貰っていた私は、それを(勿体無くも)丁重にお断りしていたのでした。しかし、
「待ち合わせはどこにしましょう?」
まったく動ぜず、マイペースにも”ねこ”は言いました。おいおい…。 こー とー わったでしょー? メール見てないの? 
  当時、誰ともオフラインで付き合わないことに決めていた私は、それから何度も何度も丁寧に し・つ・こ・く! こちらの意思を伝えましたが、
「で、待ち合わせはどうしましょう?」
と、まったく動ぜず、マイペースな”ねこ”は、繰り返しました。そして最後は私が折れました。(勿論、予習も撃沈しました…)
  2時間に渡る攻防の果て、我々は某所にて
「トルコ語の辞書」と「イタリアの国語辞典」をお互いの目印に、会うことを決めたのでした。

教訓:”ねこ”は実行力があり、意外と頑固である。

■2001/04/06 (金) ”まりりん”は何人?

さるさるさんへ、

  先ほど自分の日記にたどり着こうと検索をかけたら(ここのアドレスが特定できないでいたボケた私)、「まりりんの独り言」なるページを発見! うーむ、「まりりん」という名前を使ったタイトルページは多かったのね。しかもそっちは、実にまじめで深刻な恋愛日記みたいでした。「まりりん」さん、ごめんね。私は、ぼけぼけのMarieです。私のハンドルは「まりりん」じゃないんだし、本来なら、後から入ってきた私のほうがタイトルを変えるべきだと思うのですが(それよかタイトルを決定する前に下調べしておくべきだった!)、面倒なので、しません。陳謝! 

  昨日まで鬼怒川温泉「ゆば御前」(すんげぇ感じのいい旅館! ゆば料理を食べたい関東の人間は絶対訪れて欲しい店です)で、 ほたーっ …としていたので、洗濯物がたまりました。(仕事もね…。)さっさと家事に戻ろう。
ではでは、
                    まりぃ

■2001/04/06 (金) 自己紹介しなくちゃ!

さるさるさんへ、

  『アンネの日記』は擬人化した日記帳に向かっての語り形式で書かれていましたね。それにあやかって、初対面の「さるさるさん」に自己紹介します。

  はじめまして! さるさるさん。私はMarie(「まりぃ」と読む)。「親切な知人達」やら「優秀かつ親切な恩師の方々」の紹介で、某大と某音大の非常勤講師&翻訳・通訳の仕事を5年とちょっとやってる32歳の言語屋(?)(専門はイタリア語の語彙)です。しかし、多くの場合「よくできた夫(以下”ねこ”と称する)」に恵まれた幸せな・ぐーたら主婦として存在しています。花粉アレルギーで、紫外線アレルギー(日焼けしないで火傷ができる体質)のため、日中は余程の用がない限り外へ出ません。多分、世界でもまれにみる「外出嫌い体質」なんじゃないかな? 「引きこもり主婦」の報道があると、他人事とは思えない。
  2月からずーっと春休みで、翻訳や辞書の原稿書き以外に仕事がなく、毎日、目が腐りそうに寝ていて、さすがに自分でも「こりゃまずいや!」と気が付きました。(遅いよ! >まりぃ) で、さるさるさんへの毎日メッセージを書きはじめさえすれば、(日記のネタを仕込む必要に駆られて)こんな私でも起きて活動するんではないかと考えた次第です。どうぞ、よろしくお願いいたします。

  さて、もうすぐ新学期も始まるというのに、某先生から頼まれたフランス語の翻訳が200ページ近く残っている とんでもない私。やばいよ… 月曜日に音大で彼と顔を合わせる前には何とかして仕上げたい。しかし、出勤日にはちゃんと外へ出て、それなりに働いてもいるのに、一体なんだって休日には寝てばかりいるのか? 本来なら研究を進めてる筈の長期休暇じゃないのか? >まりぃ

  あと、10日必着の音大の契約書(非常勤講師は一年契約だから、毎年こんなのを作成する)と業績書(追加分のみ毎年提出)は、今日中に書いて出さないといけません。そのときに壊れたキャリーバッグを問屋へ送り返したり、夕食の買出しをする予定。ちなみに私が作る食事は基本的に一食・一品のみです。まったく”ねこ”は、よく耐えてくれてるよ…。「その分、仕事をしなさい」ということなのでしょうが。

  なんか最後のほうはとりとめがなくなりましたが、とにかく仕事します。
ではでは、
                     まりぃ

■2001/04/06 (金) まりりん32 オープン

まりりん32 がオープンしました

 


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