Marie's memo
Marie's memo

ピカチュウにはまったイタリア語屋主婦:Marie のメモ帳です

 
2001/04/30 Mon 22:21 Marie's memo のピカ索引 Il catalogo della Galleria

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  これだけ画像が増えてくると、”まりぃの記憶”も
使い勝手がよくないので、索引をつけてみました。
好きなピカにすぐ飛べるようになって、我ながら便利です。



001 このページ:ピカジェット。(ジャンプしようがない…)

002
ピカジェット、計算チュウ、バスミトンでチュウ 、
巾着袋 ピカつき、ハンカチでチュウ

003
カバーチュウ、Libretto 50でチュウ、
今月の特選pikas aprile  pika(複数) 、
パチ・ウインドブレーカー

004
パチ・ウインドブレーカー、
LEAVESへの隠れリンク(と、堂々と書く奴)
  
005
故 パンチュウ1&2、耳チュウ(ぷんすかチュウ2種類)、
波乗りチュウ、ちゃっチュウ

006
ちゃっチュウ、ピカ小包(大包みだってば!)の中味、
ねっチュウ(別名:ひつじ…)、風船チュウ &飛行チュウ達 etc.
(国内線におけるピカジェット廃線のショック!!)

007
風船チュウ &飛行チュウ達 etc.、チュウ&ぴかひゃん、
鳴きチュウ&鳴きツー: two、びーどろチュウ

008
ANA ポケモンジェット ダイキャストモデルプレーン Scale 1/400、
是非チュウ1&2、フロチュウ&ぴかひゃん、抱きチュウ

l'indice del catalogo dalla pagina 009-016
009-016のピカ索引はこちら


Marie

 
2001/04/30 Mon 22:44 ピカチュウジェット撮影の顛末(1)

ピカチュウジェット撮影の顛末(1)

 

(1999年5月28日、羽田空港駐機中のピカジェット)

「ANAポケモンジェット」を、横浜M家と浜松A家では「ピカチュウジェット」と呼んでいる。理由は簡単、ピカチュウしか目に入っていないからだ。1998年夏、ピカチュウジェット就航の報せを聞いたMarieは、大いに興奮し盛り上がった。だが、よく考えてみたら、自分がこれに乗る可能性は殆どないことに気づき、一気に盛り下がった。大体私は、高所恐怖症の鉄道好きである。国内旅行に飛行機を使うなんて、それまで殆ど考えたこともなかった。それに当時のピカジェットは国内線だけだった。乗るわけがない。




 
2001/04/30 Mon 22:47 ピカチュウジェット撮影の顛末(2)

ピカチュウジェット撮影の顛末(2)

 

(7:54 ピカジェット2機。左側の一機はタクシング中)

「ポケモンジェット、乗りに行くんでしょ?」

私のピカチュウ好きを知る人は口々に訊いてきた、が、その都度、

「ANAの戦略になんか乗らんよ! 私は賢い主婦なんだ!」

と、宣言し、ピカチュウジェットは存在しなかったことにしよう、と努め続けたMarieである。

だが就航から半年を過ぎた頃、突然、ANA時刻表の表紙からポケモンジェットが消えた。私の胸はギュッと痛んだ。



 
2001/04/30 Mon 22:50 ピカチュウジェット撮影の顛末(3)

ピカチュウジェット撮影の顛末(3)

 

(7:56 近づいてきた!)

 「ああ、もう生のピカジェットを見る機会はないのかもしれない!」

深く落ち込む。あれだけ人気のあった「くじらジェット」でさえ、半年たったら消えてしまったではないか。ピカチュウジェットも版権の絡みで長くは続かないだろう…(注1)。あの数十メートル(?)のピカチュウは、白ペンキで塗り潰されてしまうのだろう。あの優しいおなかの風船チュウ(注2)でさえ、黙々と働く作業員のおじさんに消されてしまうのだ。この私と一生会えないままに! こんなに愛しているのに!!





 


 
2001/04/30 Mon 22:53 ピカジェット撮影の顛末(4)

ピカジェット撮影の顛末(4)

 

(7:57 風船チュウも良く見える)

それまで抑えて続けてきたピカチュウへの想いが、ここで堰を切ったように溢れ出た。ああ、私はこんなにもピカチュウジェットに会いたいんだ。同じ空間に存在したいんだ。どうして今まで気が付かなかったんだろう? こんなに好きだったのに!?

大猫の前で時刻表を振り回しながら私は、ピカジェットへの思いのたけをぶちまけた。すると優しい大猫は、こう言ってくれたのだった。

「羽田空港に一泊して、ピカチュウジェットを見に行こう。」

と。



 
2001/04/30 Mon 23:08 Pikajet (5)

Pikajet (5)

 

(7:57 まん前に来た)

そういうわけで1999年5月27日から28日に掛けて、横浜M家の二人は羽田東急ホテルへ一泊した。前泊でも後泊でもなんでもなく、ピカチュウジェット撮影のためだけに。(友人たちには「あほう!」と、ののしられたが構うもんか!) 残念ながら、27日は強風のため展望台が閉鎖されており(注3)、着陸するピカチュウを見ることは叶わなかったのだが、28日の朝は、初夏の風吹く快晴。素晴らしいピカジェット日和であった。




 
2001/04/30 Mon 23:11 Pikajet (6)

Pikajet (6)

 

(7:57 あああ、遠ざかっていく!)


羽田空港には5時起きをして向かった。ピカジェットの離陸まで一時間近くあったのだが、早朝の展望台に、数人の先客がいて驚いた。そしてその殆どが「お父さん」で、その上、物凄く高そうなカメラと、人が殺せそうに大きな望遠レンズを抱えていたので、更に驚いた。眠そうな目の子供たちは、完全に父親のオマケである。勿論、良さげな撮影ポイントは、既に三脚で押えられている。負けた。…いや、負けてはいられない! 目の前にはピカジェットが2機もとまっているのだ。これを撮らずにおくものか!! 気を取り直した私はデジカメとビデオカメラを取り出し、写真を撮り始めた。







 
2001/04/30 Mon 23:13 Pikajet(7)

Pikajet(7)

 

(7:57 おしり…)


その朝は、7:20に福岡行きのピカジェットが飛ぶはずだった。搭乗は、その30分前から始まるだろう。荷物の積み込みは、もっと前からやるだろう。止まっている飛行機の撮影は、6:40ごろに切り上げ、我々は、トイレ休憩を取ったり、朝飯を買いに走ったりした。そして7時には、また展望台に戻り、撮影準備を整える。だがしかし、2機のピカジェットのどちらにも全く動きが見られない…。



 
2001/04/30 Mon 23:15 Pikajet (8)

Pikajet (8)

 

(7:58 Uターンしたらしい)


撮影隊の人々は、皆、時刻表のチェックを始める。 …間違いは、ないようだ。 やがて、出発予定時刻、

「ポケモンジェット、動かないね。」

「今日は、もう飛ばないんだよ。」

という、親子の会話が聞こえ始める。絶望的? 1分、また1分、時計の針は動きつづける。そして、ピカジェットには動きがない。そのうち、一組、また一組、カメラを持った人たちが消えていく。7:40を回ると、もう、広い展望台に残っていたのは、我々2人だけだった。



 
2001/04/30 Mon 23:17 Pikajet (9)

Pikajet (9)

 

(7:58 滑走路へと向かう)



「どうする?」

私は大猫の顔をうかがった。

「あたしたちも帰る? 今回 一応 ピカの本物を見たから、○は満足だよ。」

本当は、全然満足していなかった。その上、とても悲しかったのだが、それでも、私は大猫に言った。ピカの離陸を待つ間、「練習」と称してエア・ドゥの離陸ビデオを撮ったりしていた乗り物好きの彼だったが、その頃には少し疲れを見せていたのだ。何しろ、1時間半も吹きっさらしの展望台にいたのだから。

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