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”私”という名の”彼女”

 

”彼女”は私であり、”私”は彼女である。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
 



 
2002年01月10日(木) 愛玩用家族


彼女の自己認識は、「愛玩用家族」である。 これ以上でも、これ以下でもない。

卑下しているのではない。
彼女はむしろ、自分がその価値を持つ人間であることを、誇らしく思っている。


 ===

ヒトが飼い猫に対して望むものは、何だろう?

湯たんぽの役割?
(夏はどうするんだよ、夏は?)
友達の役割?
(あんまりしつこくすると逃げるぞ!)


ヒトがペットに望むもの。
それは多分、ソレから”愛される”ことですらない。
”愛させてもらう”ことなのだ。

自分に依存する存在との偏利共生。

ヒトは、ソレを愛することによって癒され。
ソレを観察することによって、自分の行動を省み。
ソレと戯れることによって、心から笑うことが出来る。
他のヒトには言えないような悩みも、ソレに対しては打ち明けられる。
(だってソレは、”したり顔で忠告”なんてしないから)

”命令なんかきかなくてもいい。
噛み付いたって、部屋中、滅茶苦茶にしたって構わない。
ふらりといなくなるときがあっても良いけど、お腹がすいたら帰っておいで。
君のお家は、ココなんだからね。”

さだまさしばりにそう言って笑う、飼い主。

 ===

彼女の価値は、猫と同じだ。
彼女は結婚前まで親に依存して生き、結婚後はその夫に依存して生きているわけだが、自分をパラサイト扱いするほどの短絡思考ではない。
家族にとって ”自分を愛すること” がどのような価値を持つかを、充分に理解しているからだ。
『可愛がりたいだけ、可愛がればいいさ♪』
陽だまりで伸びをしながら、彼女はそう考えている。

 …

飼い主(=家族)がいなくなったときには、どうするか?



その時は、その時だ。
彼女には少ないながらも財産があるし、やりがいのある仕事もある。
また新しい飼い主を探しても良いし、野良猫として気ままな人生を愉しむのも良いだろう。


大体、現在の飼い主が彼女を手放すなんて、余程のことがない限り無理なのだ。
”蓼食う虫も好き好き”: 客観的評価なんて糞食らえ!
彼女の飼い主にとっては彼女こそが、世界で一番、素晴らしい猫なのだから。

 ===

彼女の自己認識は、「飼い猫」である。 これ以上でも、これ以下でもない。

卑下しているのではない。
彼女は自分が ”世界一、幸せな猫” であることを、ちょっとだけ誇らしく思っている。


 

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