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”私”という名の”彼女”

 

”彼女”は私であり、”私”は彼女である。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
 



 
2002年01月21日(月) 熱傷と私(4)



(こちらから先にどうぞ♪)




皮膚がある程度出来上がり、初めて患部を洗う許可が出た日、私は飛び上がって喜んだ。
それまでは、包帯の上にサランラップを巻き、更にゴミ袋で保護して、面倒な行水を続けていたのだ。

やっと、異臭から解放される。 人間としての誇りを取り戻せる!

自分の手で包帯を解き、瓦屋根のように重なり合った垢を見て、私は笑った。
赤ちゃん用の石鹸でそいつらを削り落とす作業は、何とも言えぬ快感だった。(注1)

 ザマミロ、異臭! さよなら、火傷! 

 そして、 ”こんにちは、新しい皮膚!!”

黒いウロコの下、炭火の熾のようなサーモンピンクの肌がちらほらと覗いた。
私の脚は紅色に染まるらしかった。
でもそれがとても嬉しかった。
自分で軟膏を塗り、ガーゼを当てて、包帯を巻きなおすのも苦ではなかった。
私は翌日から仕事に復帰した。

 ===


学生達は私の包帯姿を見て、『きゃー!』 とか、『わー!』 とか、騒いでくれた。
復帰一日目が休暇明けテストでなかったら、間違いなく ”まりぃ。の火傷講座” をやる羽目に陥っていたことだろう。
とにかく凄くウケた。 ”綾波レイ” な気分だ。 



講師控え室でも、ウケた。

 「(コード弄ってて、電気ポット倒して火傷なんて)
 子供ですか、貴女は!?」

 「はぁ!?  ダメじゃないですか! 
 (お湯を被った時、服を無理やり脱がせちゃいけないなんて) 常識でしょ?」


 …うーむ、私が非常識だったのか。
でも、学ぶのに遅きに失するということはない。
私は一生消えない傷跡を持つことになったけれども、この経験がいつか誰かの役に立つときもくるだろう。
少なくとも自分の子供には、こんな思いをさせなくて済む。
だからこれはこれでいいんだ。

  ===


診断書の記載からもわかるとおり、通院が終わるまでに3ヶ月、包帯が全て取れるまでには半年以上掛かっている。
(注2)
今でも、右脚を日光に晒すことは出来ない。 色素沈着が起こるから。
皮膚は敏感になっていて、産毛を触っただけでピリピリ響く。


私の右太腿には、まだ茶色く翳って見える部分が相当ある。
これが温まると充血し、内股から外股に向かって這う炎のような、紅色のプロミネンスを浮かび上がらせる。
大きな火の刻印は、表だけでなく、尻側にもその手を伸ばし、我が右脚をガッチリとくるむ。 火傷の痕である。
でも今、私はこの脚が、何故かとても気に入っているのだ。



   (おしまい♪)




 === 脚注 ===

注1: 瘡蓋と同じで、無理やり剥がすのはペケです。

注2: その間、右脚を上から下まで包帯でグルグル巻きにした私に席を譲ろうとしたヒトが皆無だったことは、特筆に価します。
シルバーシートに座る若者を悪く言う方々には、是非、率先して席を譲ってもらおうと、登山の格好をした高齢者の前に好んで立ちはだかった私でしたが、まるで無視! 貴方たちは脚を鍛えたいんじゃないのかね?
というわけで、”御身体の不自由な方々”&妊婦、赤ちゃん連れにだけ席を譲りまくる、執念深い私なのでした。
 





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