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”私”という名の”彼女”

”彼女”は私であり、”私”は彼女である。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。


2003年09月21日(日) 私の拒食症&過食嘔吐



   ReadMe の登録が「週刊」なのは嘘じゃないです。 こっちのコラムは週一以上のペースで書くわけにはいきません。 こっちを更新すると、嫌な自分を思い出すので、必ず ”ブルー”に入るからです。 毎日やってたら、間違いなく、日常生活が破綻します。

   しかし、猫族さんと相互リンクした私。 ここら辺でカミングアウトしましょう。 私は”思春期やせ性”と診断された過去があります。 生理の休止期間は一年ちょい。 通院は産婦人科オンリーで、ピルの処方とホルモン剤の注射を受けていました。 今でもアレを思い出すと、尻っぺたが痛みます。 (ホルモン剤は筋肉注射)

   −−−

   きっかけは大学一年か二年の時、新宿の洋服を売る店で ”黒のツーピース” を見つけたことでした。 高校のリーダーで "woman in black"(自分には黒しか似合わないという理由で、喪服を着まくっていた女性の話)を読んで以来、喪服に憧れていた私。 それがどうしても欲しくなったのです。 値段は税込み一万円。 田舎から上京したての貧乏学生にも楽勝のプライスでした。

 「これ、下さい。」
店員に私は言いました。 彼女はちょっと怪訝そうな顔をして、

 「お客様、こちらはFサイズですが、ご試着なさいますか?」
と、訊きます。

 「Fってなんですか?」

 「フリーサイズ… という意味なんですけど…。」

   …

   店員がしつこく勧めるので、私は試着室に行きました。 そしたらウエストがきつくてジッパーが上がりません。

 
 「も少し、大きいサイズはないんですか?」
の私の問いに、

 「すいませんねぇ、ウチはワンサイズしか作ってないんですよ。」
と、困惑気味のお店の答え。


 『そうか、東京で服を買うには痩せなきゃいけないんだな。』

私は短絡的に思い至ります。 当時、167cm 57Kg。 痩せてはいないけれど、決して太ってはいない女子大生。 出した結論がコレでした。

   私はそのツーピースを買って帰りました。 努力目標です。 今でも記念品として、それは私の部屋にあります。 メジャーで測ったソイツのウエストサイズは64cm。 というわけで、私はウエスト63cm以下、60cm前後に絞ることを目標として、ダイエットを開始しました。 まずは四訂成分表を買ってきて一般食品のカロリーと栄養成分とを丸暗記します(現在は”五訂成分表”)。 その上で、一日の総摂取 1200kcal、タンパク質量60g超+ビタミン剤、糖質・脂質をできるだけカットしたスタービングダイエット(超低カロリー食生活)を始めました。 同時に、腕立て・腹筋・バックキック等の筋トレ・その場マラソン30分超のエアロビクスも実行。 代謝機能を高めるべく風呂には1日2時間以上浸かり(その間は読書)、その甲斐あって、1ヵ月後、黒スーツのウエストはゆるゆるになっておりましたよ。 お尻も2まわりくらい小さくなり、脚が余計に長く見えたことです。 ヤター!

 「垢抜けたねー。」
 「スタイル良くなったよねー。」

そう言われる度に、私は嬉しかったのです。 減量が短期間で達成されたことで、自分を褒めたりなんかもしました。 だから、”もっと痩せよう”とは思わない(セルフイメージの崩れはなかった)までも、

   ”この体型を維持したい”

との思いは、日に日に強くなり、終いには強迫観念へと至ったのです。 少しでも食べ過ぎると、トイレで吐くように心がけ。(吐いた後は、当然、牛乳を飲んで食道と胃粘膜の保護+歯磨きによる虫歯対策♪) 空腹を感じても、間食にはニンジンかキャベツしか齧りませんでした。 水だけは一日4リットル位飲んでましたが、それは食物を少しでも吐き出しやすくするクッションだったかもしれません。

   いつしか私の頭から、”食物” ”運動” ”体型改善” 以外の全ての事項が抜け落ちていました。 糖質を取らず、野菜と肉に偏った食生活は、私の体臭までをも変えました。 当時は ”さらってないドブ” のニオイが、いつも周囲を悩ませたことです。 血液が酸性に傾きすぎていたのか?  極端な少食による、慢性的な便秘のせいか?  それでも私はダイエットを止めませんでした。 止められませんでした。 医師や管理栄養士の書いたダイエットの本を殆ど網羅的に読んでいた私には、

   ”自分が間違っている”

なんて、毛ほどにも思えなかったのであります。 体重も52Kg強あり、全盛期の ”ぽっちゃり”宮沢りえ(身長同じ)の48Kgには程遠い状態でした。 なのに、なのに、どうして?



    大学2年の春休み、医師である母が私の吐きだこに気づきました。


   そのまま産婦人科へ直行。 例の事件でお世話になった病院なので、私には抵抗がありましたが、母はそんなこと気にしちゃいません(多分、忘れてるだろ、あの人は…)。 お定まりの内診。 そして私は ”無月経” & ”思春期やせ症” と診断され(内診で摂食障害がわかるんかね?)、ダイエットにドクターストップをかけられました。 今までの自分を全否定された感じで、何に対してもやる気が失せたことです。


   その後は、通院と服薬。 私の体重はクスリのせいで極端に増え、ピーク時には64Kgにまで達しました。 今より10Kgも重いのです。 もう動くのがかったるいわ、周りから

 「太ったんじゃない?」(実際、太ってるんだよ!)

と、言われて落ち込むわで、散々でありました。 しょうがないので勉強だけはしっかりやっていたことです。 専門(当時は専門…)のフランス語、必修のドイツ語、選択のイタリア語・ラテン語、N先生愛♪の言語学、今も昔も変わらぬロマン!の歴史、クラブ活動の商業英語などなど。

   ”大学生なのに勉強ばかりしている!”
(当時はバブルの絶頂期で普通の大学生は勉強というものを放棄していた)

と、学内でも評判になり、私が大学院へ進学することは、周りの先生方が”勝手に”決めていました。 本当の話です。 私くらいに”でもしか”な大学関係者は、この世に存在しないだろうと思います。

   …

   摂食障害克服のため、私は食べ物について考えることを一切止めました。 現在に至るまで、食物摂取に対する関心が極端に低いというのは、多分にこの経験のせい。 ほっておくと、一日、メシを食い忘れていることがあります。 空腹のときは、周りが笑っちゃうくらいによく食べるそうです。(学生がいつも笑う) 鬱の時は、全く食べ物に手が出ません。 躁状態でも、食べることを忘れています。 イタリアに行けば、洗面器山盛りのスパゲッティを平らげるのも普通。 こんな私に誰がした? これで何故、体重変動が殆どないかというと、それは私のホメオスタシスのおかげでしょうねぇ。 自律神経万歳!

   −−−

   現在、にゃぁ(夫)がステロイドの副作用である食欲昂進と闘っております。 こういうとき、昔取った杵柄で、栄養学とカロリー計算の知識が役に立ったりするのですよ。 古くて擦り切れた黒のスーツも、拒食症の思い出も、今の”私”を構成する要素で、かけがえのないものなんでしょうね。
ではでは、


まりぃ。


リリカル鬱日記:『まりりん32』@Pika del giorno d'altri tempi

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