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”私”という名の”彼女”

”彼女”は私であり、”私”は彼女である。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。


2003年10月29日(水) 紫外線(日光)アレルギー



   今日は、秋晴れだ。 シールドの隙間から差し込む光の筋。 チンダル現象が起きている。 ただ舞い踊る埃の粒が見えているだけのことなのに、何やらそれが酷く嬉しい。

   以前住んでいたアパートは、いつも真っ暗だった。 南向きの窓は遮光カーテンと家具とで塞がれ、朝、起きると夫が電気を点けた。 私がバスルームに駆け込み、体中に日焼け止めを塗り終わるまで、ウチのカーテンが開くことはない。 私は紫外線アレルギー。 日光とは相容れないヲンナなのである。

   −−−

   最初にこの症状が出たのは、1994年の夏だった。 婚約者との長崎旅行。 私の最後の屋外写真が残っている。 半ズボンにアロハシャツ、無帽でピースサインの私。 今ではありえない格好だ。

   ユースホステルに泊まった夜、激しい痒みで飛び起きた私は、自分の全身が火ぶくれと湿疹とで覆われているのに愕然とした。

 『ダニの死骸?』

まず思いついたアレルゲンは、それだった。 私は生まれたときからアトピー性皮膚炎を患っており、ハウスダスト以下、大抵のものにかぶれる。 特に、ダニ・カビは厳禁だ。

   抗ヒスタミン剤を服用し、ステロイド軟膏を全身に塗りたくりながら、私はユースの不潔さを呪った。 ← 冤罪だ。 それが1日目。

   …

   2日目、手足の皮膚からはリンパ液が出まくっていて、とても直視できない。 自分にも他人にも不快なので、長袖・長ズボンに服装を変更。 旅行を継続する。 暑くて涙が出る。(現在は慣れた♪) 

   夜、今度は首と耳の皮膚が爛れていることに気づく。 今にも皮が捲れて垂れ下がりそうだ。 場所が場所だっただけに、冗談じゃなく”原爆の呪い”かと思った。(脚注参照)  またも薬を飲み、唸りながら眠る。 翌日からは、長袖・長ズボンに、ほっかむりが加わった。

   −−−

   現在、私の外出スタイルは、日焼け止め・化粧・長袖・長ズボン・手袋・ほっかむりにサングラスと決まっている。 白目に出来た黒子が黒目を圧倒する勢いで拡大中なので、紫外線カット眼鏡は必携だ。 発症から”紫外線アレルギー”と診断されるまでに2年もかかっているため、私の生え際や唇・手の甲には、いまも消えない火傷の跡が残っている。 アレルゲンが特定できない湿疹を発見した方には、早めの光線テストをお勧めする。

   −−−

   以前、チベットへ旅行した。 地球上で最も紫外線の強い地域の一つだ。 相談を受けた皮膚科医は、”死ぬ気ですか?” と苦笑した。 親には、”勘弁してくれ” と泣きつかれた。

   旅行中の私は、銀色の雨合羽を上下着込み、溶接工の使うようなフェイスシールドに長い手袋を着けていた。 まるで宇宙服を着ているようだ。 当時は真夏で、周りは半袖姿が目立った。 それでも、私は防護服を脱ぐわけにはいかなかった。 移動中、バスの窓ガラスも紫外線を透過するので油断はできない。 外国のツアー客が面白がって、私の写真をバシバシ撮った。 珍しい生物だと思ったらしい♪

   −−−

   今年の夏は、シチリアへ行った。 医者には何も言われなかったが、親には ”熱中症で死ぬぞ!” と喚かれた。 実際、40℃を超える猛暑の中で、周りはへばりかけていた。  しかし、私は平気だ。 もう身体が暑さに慣れているのだ。 ついでに注目を集めることにも慣れた。 純朴な島民が、すれ違うごとに、

 「Ma... non hai caldo? (あんた、暑くないの?)」
と、尋ねてくるのには辟易だが…。

   −−−

   たまには油断もする。 先々週、遅刻しそうになって、手の紫外線除けを忘れた。 通勤の20分間、日光に晒された手首は、酷い火傷を負うことに…。 火傷の上から日焼け止めを塗ることは出来ないから、2週間、リストバンドでカヴァー。 今でも瘡蓋が残っている。 ”普通の人”と同じ生活は出来ないのだと、今更ながら、肝に命じた。

   −−−

   しかし、今、これを書いている私はスッピンである。 このまま、窓を見上げて秋の雲を眺めることも出来る。 新築の家を手に入れるにあたり、夫が数十万かけて、全てのガラス窓に紫外線カットシールドを貼らせたのだ。 もう、家の中を日陰伝いに走り回る必要はない♪

   ついでで車にも、6万円かけて、紫外線・熱線カットシールドを貼った。 だから、ドライブに出かけるときもスッピンで O.K.♪  勿論、最初のトイレストップ迄に、車中で紫外線除けを塗りたくるのだけど…。

   −−−

   そろそろ新聞を取りに出たい。 化粧をしよう。 誰に見られるわけでもないのに、化粧をして、サングラスをして、帽子を被ろう。 私は紫外線アレルギー。 金食い虫。 現代に生まれなければ、多分、数日で死に至っていたヲンナ。 何故これで障害者認定されないのかが不思議でならない、妙な疾患の持ち主なのである。





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注: 17歳まで霊感体質だった私は、広島の原爆ドームを見学中、複数の”何か”に足を掴まれて、歩けなくなったことがある。 しょうがないので、周りに頼んで、むりやり”引っぺがして”もらったのだ。


リリカル鬱日記:『まりりん32』@Pika del giorno d'altri tempi

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