●2001/04/30 Mon 22:44 ピカチュウジェット撮影の顛末(1) |
(1999年5月28日、羽田空港駐機中のピカジェット) 「ANAポケモンジェット」を、横浜M家と浜松A家では「ピカチュウジェット」と呼んでいる。理由は簡単、ピカチュウしか目に入っていないからだ。1998年夏、ピカチュウジェット就航の報せを聞いたMarieは、大いに興奮し盛り上がった。だが、よく考えてみたら、自分がこれに乗る可能性は殆どないことに気づき、一気に盛り下がった。大体私は、高所恐怖症の鉄道好きである。国内旅行に飛行機を使うなんて、それまで殆ど考えたこともなかった。それに当時のピカジェットは国内線だけだった。乗るわけがない。 |
●2001/04/30 Mon 22:47 ピカチュウジェット撮影の顛末(2) |
(7:54 ピカジェット2機。左側の一機はタクシング中) 「ポケモンジェット、乗りに行くんでしょ?」 私のピカチュウ好きを知る人は口々に訊いてきた、が、その都度、 「ANAの戦略になんか乗らんよ! 私は賢い主婦なんだ!」 と、宣言し、ピカチュウジェットは存在しなかったことにしよう、と努め続けたMarieである。 だが就航から半年を過ぎた頃、突然、ANA時刻表の表紙からポケモンジェットが消えた。私の胸はギュッと痛んだ。 |
●2001/04/30 Mon 22:50 ピカチュウジェット撮影の顛末(3) |
(7:56 近づいてきた!) 「ああ、もう生のピカジェットを見る機会はないのかもしれない!」 深く落ち込む。あれだけ人気のあった「くじらジェット」でさえ、半年たったら消えてしまったではないか。ピカチュウジェットも版権の絡みで長くは続かないだろう…(注1)。あの数十メートル(?)のピカチュウは、白ペンキで塗り潰されてしまうのだろう。あの優しいおなかの風船チュウ(注2)でさえ、黙々と働く作業員のおじさんに消されてしまうのだ。この私と一生会えないままに! こんなに愛しているのに!! |
●2001/04/30 Mon 22:53 ピカジェット撮影の顛末(4) |
(7:57 風船チュウも良く見える) それまで抑えて続けてきたピカチュウへの想いが、ここで堰を切ったように溢れ出た。ああ、私はこんなにもピカチュウジェットに会いたいんだ。同じ空間に存在したいんだ。どうして今まで気が付かなかったんだろう? こんなに好きだったのに!? 大猫の前で時刻表を振り回しながら私は、ピカジェットへの思いのたけをぶちまけた。すると優しい大猫は、こう言ってくれたのだった。 「羽田空港に一泊して、ピカチュウジェットを見に行こう。」 と。 |
●2001/04/30 Mon 23:08 Pikajet (5) |
(7:57 まん前に来た) そういうわけで1999年5月27日から28日に掛けて、横浜M家の二人は羽田東急ホテルへ一泊した。前泊でも後泊でもなんでもなく、ピカチュウジェット撮影のためだけに。(友人たちには「あほう!」と、ののしられたが構うもんか!) 残念ながら、27日は強風のため展望台が閉鎖されており(注3)、着陸するピカチュウを見ることは叶わなかったのだが、28日の朝は、初夏の風吹く快晴。素晴らしいピカジェット日和であった。 |
●2001/04/30 Mon 23:11 Pikajet (6) |
(7:57 あああ、遠ざかっていく!) 羽田空港には5時起きをして向かった。ピカジェットの離陸まで一時間近くあったのだが、早朝の展望台に、数人の先客がいて驚いた。そしてその殆どが「お父さん」で、その上、物凄く高そうなカメラと、人が殺せそうに大きな望遠レンズを抱えていたので、更に驚いた。眠そうな目の子供たちは、完全に父親のオマケである。勿論、良さげな撮影ポイントは、既に三脚で押えられている。負けた。…いや、負けてはいられない! 目の前にはピカジェットが2機もとまっているのだ。これを撮らずにおくものか!! 気を取り直した私はデジカメとビデオカメラを取り出し、写真を撮り始めた。 |
●2001/04/30 Mon 23:13 Pikajet(7) |
(7:57 おしり…) その朝は、7:20に福岡行きのピカジェットが飛ぶはずだった。搭乗は、その30分前から始まるだろう。荷物の積み込みは、もっと前からやるだろう。止まっている飛行機の撮影は、6:40ごろに切り上げ、我々は、トイレ休憩を取ったり、朝飯を買いに走ったりした。そして7時には、また展望台に戻り、撮影準備を整える。だがしかし、2機のピカジェットのどちらにも全く動きが見られない…。 |
●2001/04/30 Mon 23:15 Pikajet (8) |
(7:58 Uターンしたらしい) 撮影隊の人々は、皆、時刻表のチェックを始める。 …間違いは、ないようだ。 やがて、出発予定時刻、 「ポケモンジェット、動かないね。」 「今日は、もう飛ばないんだよ。」 という、親子の会話が聞こえ始める。絶望的? 1分、また1分、時計の針は動きつづける。そして、ピカジェットには動きがない。そのうち、一組、また一組、カメラを持った人たちが消えていく。7:40を回ると、もう、広い展望台に残っていたのは、我々2人だけだった。 |
●2001/04/30 Mon 23:17 Pikajet (9) |
(7:58 滑走路へと向かう) 「どうする?」 私は大猫の顔をうかがった。 「あたしたちも帰る? 今回 一応 ピカの本物を見たから、○は満足だよ。」 本当は、全然満足していなかった。その上、とても悲しかったのだが、それでも、私は大猫に言った。ピカの離陸を待つ間、「練習」と称してエア・ドゥの離陸ビデオを撮ったりしていた乗り物好きの彼だったが、その頃には少し疲れを見せていたのだ。何しろ、1時間半も吹きっさらしの展望台にいたのだから。 |
●2001/04/30 Mon 23:20 Pikajet(10) |
「ピカが飛ぶのか飛ばないのか、ANAに電話してみたら?」 彼は、ほよよんっ と、そう言った。まるで、なんでもないことみたいに。おお、コロンブスの卵。 さすが、悩んでもしょうがないことに関しては全く悩まない主義を貫いている大猫だ。そうとも! 憶測で行動してはいけない。ANAの7:30発福岡行きについては、全日空に直接尋ねるのが一番ではないか! (8:02 位置について!) |
●2001/04/30 Mon 23:23 Pikajet(11) |
(8:02 よーい…) 問い合わせ先が良くわからないので、ANA予約センターに電話をした。ご迷惑をお掛けして申し訳ございません。 とにかく、予約のお姉さんによると、該当便の機材に変更はないし、運行取り消しもなかったとのこと。おお、遅れているだけじゃないか! ピカジェットは飛ぶぞ!!!! 喜びのあまり声が上ずる私、屋上にて狂喜乱舞。 「よかったねぇ。」 そう言いつつ、マイペースな大猫はビデオのズーム練習に余念がなかった。滑走・離陸する飛行機をフレームに入れ続け、しかも画面上の機体の大きさをほぼ一定に保つという作業は、なかなか難しいものなのだそうな。その上、ウチのビデオは旧型で重いので、腕・肩・首の全てが辛い。これより重いベータカムを担いで歩くプロのカメラマンには全く頭が下がる。 脱帽。 無論、デジカメ担当の私も撮影練習はしっかりこなして、ピカジェットの予想離陸地点くらいは頭に入れておいた。 |
●2001/04/30 Mon 23:25 Pikajet (12) |
(8:03 …どん!) それから待つこと数分、ついにピカジェットは動き出した。時計は 7:50を指している。先ほどの親子連れにあと少しの根性があったなら… 今、この感動を分かちあえたのに… いや、そんなことを考えている場合じゃない! 巨大ピカチュウが動いている。 こいつが浮き上がって、空を飛んで、九州まで行ってしまうのだ。 殆ど冗談のような話だが、これが目の前で現実となるのである。 |
●2001/04/30 Mon 23:27 Pikajet (13) |
(8:03 ピカチュウが空へ…!) ピカジェットはまずトレーラーに牽引されて、ゆっくりとバックした。それから機首を展望台のほうに向け、まるで「ファンサービス」だとでも言わんばかりに我々の足元へ近づく。風船チュウがアップになった後、くるっとお辞儀みたいなUターンをして、飛行機は滑走路へと向かっていった。 …そして、運命の8時3分! |
●2001/04/30 Mon 23:28 Pikajet (14) |
(8:03 上昇し、) ピカジェットが走る。 ピカジェットが飛ぶ! ピカジェット ぐんぐん 上昇、 そして、雲の向こうへ。 |
●2001/04/30 Mon 23:30 Pikajet (15) |
(8:04 一気に 空の彼方へ…) 我々は、それが本当に見えなくなるまで見送った。 後に残ったのは心地よい疲れと、軽い汗。 我々は、ピカジェットの撮影に成功した。 あの日、あの時、あのピカの! こうして横浜M家の「第1回 ピカチュウジェット撮影会」は、幕を閉じた。もちろん「第1回」と書いたからには、「第2回」・「第3回」があったということなのだが、それはそれでまた別の機会に…。 ○ま |
●2001/04/30 Mon 23:36 Pikajet (16) |
(2000年3月16日23:07 「だってもう遅いんだもん」 by計算チュウ) 注1: 当時は、本当にそんな感じだった 注2: ポケモンジェット‘98の垂直尾翼に生息。風船をおなかに巻いて、御機嫌なピカチュウのこと。トゲピーを乗せている方は、「スピード感のある風船チュウ」と呼ばれ、種類が異なる。 注3: 展望階まで上がってきて初めて、「展望台閉鎖」の張り紙に出くわした私である。はっきり言って、とても悲しかった。周りにいた親子連れも皆、時刻表を握り締めて落胆を隠せない様子だった。羽田空港、もっと掲示の仕方を工夫してくれい! |
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